院長紹介

私が院長の木村健太ですはじめまして!
肩をもまずに肩こり撃退!肩特化型セラピスト・木村健太(きむらけんた)と申します。
たいわどう鍼灸整体院は、症状の改善はもちろんのこと地域で一番笑顔があつまる整体院を目標にしています。
患者さまとの信頼関係を大切にしてお悩みについてなんでも相談していただけるよう誠心誠意、施術にあたらせていただきます。

取得資格一覧

厚生労働省の指定する養成機関で最低3年学び、その後国家試験に合格して初めて得られる資格。

国家資格

・あん摩マッサージ指圧師

主に押す・揉むなどして体の不調を整える知識・技術を習得した者に与えられる。

・はり師

鍼(はり)で経穴(ツボ)を刺激することによって体の不調を整える知識・技術を習得した者に与えられる。

・きゅう師

ヨモギを原料とした「もぐさ」を燃焼させることで経穴(ツボ)を刺激し体の不調を整える知識・技術を習得した者に与えられる。

民間資格

・公益社団法人日本鍼灸師会 鍼灸臨床研修会修了
鍼灸師の知識・技術力の向上を目的に国家資格取得後一定の臨床経験を有するものを対象として行われる研修会を修了

・公益財団法人東洋療法研修試験財団 生涯研修修了
鍼・灸にあんまマッサージ指圧を加えた「東洋療法」を担う者の資質向上を図るための団体が主催する研修会を修了

・山村式不妊鍼灸 認定鍼灸師
不妊でお悩みの1,300名以上の妊娠の希望をかなえてこられた山村祐二先生から直接指導を受けその技術を習得

・ハワイ大学 解剖プログラム課程修了
日本では医師・医学生のみにしか認められていない未解剖のご献体を解剖することのできるプログラム
実際ハワイに赴き自らメスを持って3日間解剖を行った

院長の生まれてから現在まで

幼少期の院長誕生~幼少期
生まれたのは名古屋で、小さいころは今からは想像もつかないような丸々とした体型(右写真)でした。しかし体が弱く、両親が共働きだったこともあって母親の実家がある香川県の祖父母の家に1年間預けられることに。その後愛知県にもどって、父親の実家がある稲沢市で家族そろっての生活が始まりました。

小学5年生の院長小・中学生
小学校4年生あたりから急に背が伸び始め(左写真)、それとともにやせていきました。
もともと運動は苦手で家の中で遊ぶのが好きだったのですが、身長が伸びると不思議とスポーツにも取り組むようになり、小学5年から中学3年までバスケットボールをやっていました。

高校時代
名古屋の高校に進学し、部活がワンダーフォーゲル部だったこともあってよく山登りに行きました。一番の思い出は高2の夏休みに登った槍ヶ岳です。キャンプ道具を担ぎながら何日もかけて頂上にたどり着いたことは今でもよく思い出します。

高校の非常勤講師をしていた時の院長大学時代
大学4年間は京都で一人暮らし。勉強にはあまりまじめだったとは言えず、アルバイトをしながら友人とたまに軽自動車で長距離旅行(高速を使わずに西日本をぐるっとドライブ)したりしていました。

非常勤講師時代
大学を卒業して稲沢市の実家にもどり、5年間公立高校で社会科の非常勤講師として勤務(右写真)。
多くの生徒や講師仲間とふれあい充実した時間をすごしながらも、他方では将来についていろいろ思い悩む時期でもありました。

愛車だったアウトビアンキA112←愛車だったアウトビアンキ
大学卒業後すぐに、非常勤講師として勤務するのに自動車が必要だったこともあって中古で購入。その後16年も乗り続けることになるとはその時には思いもよりませんでした。
毎年車検や定期点検などで維持費がかかり、おそらくトータルうん百万を投じたと思います・・・

専門学校に通っていた時の院長専門学校時代
鍼灸マッサージの専門学校時代(右写真)はひたすら勉強勉強の毎日でした。
そのおかげか、卒業の時には皆勤賞と校長賞を受賞。
このときしっかり勉強したことが今でも生きています。

修行時代
専門学校卒業後すぐに、名古屋の治療院で修行を開始。
その時にこの道で生きていくための技術や心構えについてご指導いただいた師匠とは今も親しくさせていただいています。

開業~現在
5年の修業の後、平成23年5月に稲沢市で自分の鍼灸整体院を開業。以後現在に至るまで、日々の臨床とセミナー・勉強会などで知識と技術の研鑽に励む毎日を送っています。

出身地稲沢市(生まれたのは名古屋)
ニックーネームケンタ、けんちゃん
趣味・特技スポーツ(野球・サッカー)観戦、においだけで食べ物を当てる
ハマっていることウォーキング、NHK大河ドラマ
休日の過ごし方飼い猫(名前 ニーナ)と遊ぶ、図書館で本を読む
好きな食べ物1位 オニオンスライス 2位 刺身わかめ 3位 ささげ豆
嫌いな食べ物1位 セロリ 2位 生がき 3位 いちじく
性格とても慎重派 わりとマイペース